狼狽売りは「オレだけ」?

「なんであんなことをしちゃったんだろう…」。
投資をしていると、誰でも悔やむことってありますよね。とくに、口惜しいのが、いわゆる「狼狽売り」。株価が短期間に一気に下げると、パニックとでもいうのでしょうか、このまま株を持っていることに耐えきれなくなって、あわてて売ってしまう。でも、後になって振り返ってみると、売ったのは最悪のタイミングで、もうちょっと待てば損失の幅が少なかった…、というか、そもそも売る必要なかったじゃん!ということは、誰でも経験があるところでしょう。「オレはなんてバカなんだ…」と反省することしきりですが、ちょっと待ってください。狼狽売りで反省しているのは、「オレだけ」でしょうか?

そんなことはない、ですよね。多かれ少なかれ、全ての投資家が狼狽売りに似た経験はしているでしょう。だとしたら、「オレはなんてバカ」なのではなく、人間の心には、普遍的に、狼狽売りをしてしまうようなメカニズムが組み込まれているとは言えないでしょうか?

「あぁ、それって、行動ファイナンスだろ?」と勉強家の方は思うかもしれません。「人間は合理的ではないし、投資においてさまざまな心理的なエラーを起こす」という考え方の行動ファイナンスは最近流行の分野ですし、実際に行動ファイナンス理論を応用して高収益を目指す投資信託なんてあるぐらいです。

でも、これからお話するのは、ちょっと違います。行動ファイナンスのコンセプトを受け入れたうえで、「なぜ人間の心はそうなっているのか?」を解き明かしていこうという試みです。個人投資家にはその方が役に立つはず。だって、「投資家はこんなミスをしがちだ」というだけでなく、「そのミスの背後にある心の動きはこうだ」まで分かった方が、そのミスを避けられる可能性が高まりますから。では、さっそく、人間の心の動きのなりたちを、昔に立ち返ってひもといてみましょう。

物陰に猛獣が…どうする!?

昔、と言っても、本当に昔です。10万年前の旧石器時代の頃、あなたはどんな生活を送っているでしょうか?一番関心があるのは、食糧を確保することです。と言っても、稲作はまだ始まっていないので、狩りで動物をしとめることが、一番効率の良い方法になります。

でも、狩りをすると、危険がいっぱい。狩りをしているつもりが狩られることもあったりして、とくに、人食いの猛獣は怖いですね。今もほら、近くの藪の陰で、ゴソっと何か大きなものが動く音がしました。どうしましょう?次の二つの選択肢で考えてみてください。

 a) 本当に危険な猛獣かどうかよくチェックして、危なければ逃げる
 b) 本当に危険かどうかを確かめる前に、とりあえずまずは逃げちゃう

a)を選んだ方は、残念。こういう行動パターンの人は、物陰にいたのが本物の猛獣だった場合、命が危険にさらされて、結果として早死にして子ども(=遺伝子)を残すことが出来ません。b)の人は、獲物はなくてもとりあえず命は助かった、家に帰ろうということで、帰ってきたのを喜んでくれるカアちゃんと子作りして遺伝子を残せる可能性が高くなります。

翻って現代。石器時代にはあれほど正しかった、「危険を察知したら、よくチェックしないでパッと逃げる」というb)のパターンは、今や批判の的です。株価が下がって危険だと思ったから、よくチェックせずに売っちゃった、と言ったら、カアちゃんは喜ぶどころか猛獣そこのけに怒るでしょう。

でも、人間の心というのは、石器時代からそれほど変わっていないのです。というか、石器時代から、パッと逃げる慌て者が延々と生き残って遺伝子を残してきた結果…末裔である現代人のわれわれは、ほとんどが危険を察知するとパッと逃げ出す慌て者ばかりなのです。だから、狼狽売りは、「オレだけ」ではなく、現代人の投資家に共通する心理なのです。

分かっちゃいるけど…ならば、意思決定をダブルチェックする仕組み

このように、人間の心のうごきはずっと昔-それこそ石器時代-に、生き延びるための合理的なメカニズムとして発達したのだ、と捉えるのは、「進化心理学」と呼ばれる心理学の新分野です。カンの鋭い方は既に気づいているとおり、ダーウィンが唱えた「進化論」を心理学の分野に当てはめたものですね。ほら、「適応」とか「自然淘汰」って学校で習ったのを覚えていますか?たとえば、ガラパゴス諸島では、同じ鳥なのに島ごとにくちばしの形が違っているなんて例がありましたね。ある島に住む鳥はペンチのようなくちばしに、ある島ではストローのようなくちばしに…

この理由は簡単。島ごとに、どんなエサが取りやすいかなどの環境が違っていたからです。それぞれの島の環境にもっとも合うような形にくちばしを持った鳥が自然淘汰をくぐり抜けて適応した、という考え方でした。「進化心理学」では、心のメカニズムも鳥のくちばしと同じように適応を遂げると考えます。つまり、人類が誕生した300万年前から10万年までの間に、そのときの環境にもっとも合わせて、生き残りの可能性が最も高くなるように、心は合理的に出来てきたのです。ただ、問題は、心は10万年前から変わっていないのに、われわれを取り巻く環境は劇的に変化を遂げてしまったことです。それが、投資という側面では狼狽売りに始まるさまざまな失敗をもたらすわけですね。

このコラムでは、今回から4回シリーズで、進化心理学の考え方をベースに、投資におけるさまざまな失敗の原因を探っていきます。進化心理学自体がまだ新しい学問分野であるだけに、学術的な正しさは必ずしも保証できるわけではありませんが、それでも、投資の手痛い失敗を避けるコツがきっと見つかるはずです。

ちなみに、狼狽売りに話を戻すと、これを避けるコツってあるでしょうか?第一歩は、自己認識なのは言うまでもないことでしょう。つまり、「あ、自分は今、石器時代の心になっているな」と自覚することによって、狼狽売りという「良くチェックしないでパッと逃げる」行動を戒めるわけです。そして、もっと良い方法は?本文中にヒントがありましたが、気づいた方はいるでしょうか?

そうですね。猛獣よりも、もっと怖いものを思い浮かべるのです。狩りから手ぶらで家に帰ったら、カアちゃんが怖い顔をして待っていることを想像してみましょう。今度は、猛獣かどうかよくチェックしないでパッと逃げるのは、正しくない行動になります。投資も同じで、売り注文をだす前に、「これをカアちゃんに話したら、どんな顔するだろう?」と一度考えるクセを付けましょう。もしも、「怒るだろうなぁ」と思えば、売り注文は一時ストップ。狼狽売りは避けられるわけです。このような、いわば意思決定をダブルチェックする仕組みを作って、投資における手痛い失敗を避けて賢い投資家を目指していきましょう。

今回の参考文献

エヴァンス著、超図説 目からウロコの進化心理学 人間の心は10万年前に完成していた、講談社、2003年